長野県・木曽地域に伝わる伝統薬、百草丸、
その元となった「百草」と、長野県製薬の関わりについて
1000年にわたる歴史を振り返ってみましょう。

“百草”とは?

紀元前 2000 古くは縄文時代の遺跡から出土し、山岳修験者の常備薬として重宝されてきたキハダ(オウバク)。このオウバクエキスを主成分として、御嶽信仰に共に木曽地域に根付いたのが「百草」です。

百草の由来は、中国古代の医薬の帝王、神農氏が「百草(百種類の草)をなめてその薬効を試した」という故事に由来します。
又は木曽御嶽山麗は古くから薬草が自生しており、昔は様々な薬草を配合していたことから「たくさんの薬草」という意味で百草としたとされています。
さらに、百の薬草に匹敵する効能を持つ霊薬という意味が込められた等、諸説があります。

古くは縄文時代の遺跡より「キハダ」が出土しており、使用が確認された最古の生薬といわれています。

百草の起源と伝来

690 「百草」の起源については諸説ありますが、7世紀(690年頃)に修験道の開祖である役小角(えんのおずぬ)がオウバクエキス薬により民衆を救済したものが、修験者の間で脈々と受け継がれてきたとされています。

1849 木曽地域に百草の生成方法が広く伝わったのは、1849年(嘉永2年)頃。御嶽信仰を全国に広めた普寛行者の言葉として、

「御嶽山の霊草百種を採り集め、よく煎じ詰めて薬を製せば霊験神のごとし、
これを製して諸人を救え」

と修験者たちが村人へ作り方を伝授したと伝えられています。

「百草」は現在の御嶽百草の原型となっています。練薬で、竹の皮の上に延ばして持ち歩いていました。

御嶽山、御嶽信仰とは?

御嶽山は長野県木曽郡と岐阜県下呂市との県境にまたがる標高3,067mの独立峰。古来より信仰の霊山として有名で、現在も多くの登山者が登拝しています。
この御嶽山が修験道の道場として広く全国的に知られるようになったのは、天明年間(1780年)に現れた覚明行者と普寛行者の熱心な布教活動の賜です。
両行者の努力によって各地に御嶽信仰の講社(同じ神仏を信仰している人々で結成している団体)が確立されました。その後も有力な行者が現れ、この信仰によって病苦が救われるとの話しが広まり、御嶽講社が全国各地に結成されました。

近代の百草と組合の成り立ち

初めは家ごとにそれぞれのレシピで作っていた百草は、やがて作り手が集まり組合を形成し、原料の共同仕入れや共同加工場を持つようになり、徐々に組織化していきました。そんな中作られた百草ですが、パッケージは販売者(各家)ごと、オリジナルなものを使用しており、バラエティ豊かなデザインの製品が販売されていました。

御岳百草丸の誕生

1938 板状だった「百草」をより服用しやすい剤型にするために施行錯誤し、丸剤の開発に成功。
今日広く親しまれる御岳百草丸が誕生しました。

今も存在、苦ーい百草
かつては、大釜でキハダを煮出しでエキス(オウバクエキス)を煮詰めて竹の皮に包んで販売していた百草ですが、現在の医薬品製造の基準を守りながら基本的には昔と変わらず、キハダを煮出して固めたものが御嶽百草として販売しています。
昔は板状の百草を金づちで割って服用していましたが、今は1回の服用量が一定になるように四角に成形された、ちょうど板チョコのように切れ目から割って服用できるようになっています。

百草元祖の碑

弊社事業所の敷地内に、御嶽神社の分霊を受けた長野県製薬株式会社内御嶽大神が祭られています。
祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこのみこと)、国常立尊(くにとこたちのみこと)の三柱です。少彦名命は薬祖伸としても知られる神様です。

また、その傍らには元は御嶽神社旧参道にあった「百草元祖の碑」が移築されており、それには嘉永二年(1849年)、胡桃澤弥七と小谷文七が普寛行者の遺法(過去から現代に引き継がれている法)を共に謀りて“百草”を作るに始まる」と記されています。

全国に広がるオウバク製剤
御嶽山の麓、木曽地方に百草として伝わっている「オウバクエキスのお薬」ですが、役の行者(役小角)が開いたとされる奈良県の大峰山、吉野山には「陀羅尼助」があり、たたら製鉄が盛んだった鳥取県では「煉熊(ねりぐま)」といったお薬がありました。
これらはともにキハダを煮出して固めた製剤であるため、兄弟のようなお薬といってもいいかもしれません。

長野県製薬株式会社内御嶽大神

百草と長野県製薬について、
より詳しく知っていただけましたでしょうか?
長~い歴史を年表で振り返ってみましょう