山丸三は、百草、奇応丸といった薬に古くから使われてきた商標です。
百草の歴史は長く、嘉永二年(1849年)に、当社の現在の株主の祖先である、胡桃澤弥七氏と小谷文七氏とが作ったものが最初とされています。
江戸時代の代表的な民間薬の1つであり、御嶽参りをしないと手に入らなかったことから、霊験あらたかな薬といわれていたと言います。
百草は、当社の現在の株主の祖先である、特定の薬舗が山丸三を付した袋に薬を入れ、販売をしてきたものであり、この商標が使用された最も古い記録としては、慶応四年5月のものがありますが、その版木は、田ノ上信雄氏(長野県製薬株式会社元監査役)が所有しています。
そして、時代が、江戸から明治、大正、そして昭和と移り、薬事法が制定され、度重なる法改正が行われる中で、百草を製造販売してきた当社の役員の先祖達が大切に継承してきたものなのです。
その後、のちに当社3代目社長となった家高卯助氏が百草丸を最初に研究開発し、昭和19年製造販売を始めました。
また、百草は、第二次大戦中、戦地に送られた慰問袋には必ずといっていいほど、入っていた薬であり、昭和20年前後には、当社の商標として広く知られるものとなっていました。
山丸三は、既に、大正10年4月23日に商標登録がなされています(商標登録第128088号、大正10年法商標法)。 登録時の権利者は家高幸太郎氏でしたが、その後、胡桃澤音八氏、瀧源太郎氏、小谷せつ氏の3人が権利者に加わり、4人となりました。この4人はいずれも当社の株主でした。
当時の商標権の存続期間は20年でしたので、昭和16年に更新され、この商標権は昭和36年まで存続していました。
戦後も当社は、山丸三を使用し続けていましたが、山丸三を無断で使用し始めた会社がありました。
ご存知の方もあるかとは思いますが、大正10年法には、使用許諾制度が設けられておらず、また、営業と切り離しての自由譲渡もできなかったため、当社は、事実上の使用許諾によって使用はできても、差止めはできないという状態でした。
また、徒に、事を荒立てたくないという思いから、当時の権利者もこの無断使用者に対して申し入れをしなかったのですが、このことが、後に大きな問題の発端となりました。
第二次世界大戦を挟んで戦後の混乱期を生き抜いた商標登録第128088号でしたが、大きな法律改正があり、うまく対処ができなかったためか、更新されないままに昭和36年で消滅しています。
その後、山丸三の商標権を取得され(商標登録第2053847号)、この商標はその後当社に譲渡されて、現在も登録商標として存続しています。
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